
先日の台風12号による大雨被害で和歌山の状況がニュースでよく報道されていますが実際この目で見てみたいと思い行ってきました
ニュースでは和歌山南部の新宮や那智周辺がクローズアップされていますが、今回は中部(地元では中紀といいます)にあたる実家のある御坊市から日高川をさかのぼりました
日高川は和歌山県下では最大の流域面積を占める巨大な河川です 又、中上流部には県下最大の椿山ダムがあります
今回、ダムの下流域で床上浸水や建物が流されるなどの大災害が発生し、台風時の放流量が議会でも問題になっているところです
ダムの役割は、わかりやすく言うと大雨の予想から事前にダムをからに近い状態にし、大雨時には一定の貯留と放流を計画的に行い水害が起らないようにするということ!
今回の驚異的な降雨量ではどうにもならなかったのでしょうか?
逆に言うと、ダムがなかったらもっとすごいことになっていたのでしょうか?
現在解析中だと思いますが、今後の研究発表を待ちたいと思います
ということで椿山ダムの状況です
すごいことになっていました
ダム湖は一面がれきの状態!上流から流れてきた材木で埋まっていました
ダムの水門にはからまった材木がへばりついています
現在は、ずっと放流中で水位はだいぶ下がってきていますが川の色もまだドロドロです
ダムまで向かう道路や建物もいたるところで大被害で復興の横断幕を掲げたドラックや自衛隊がひっきりなしに往来していました
今後の復興と対策を祈るばかりです

ダムのアップです

道路はいたるところでこのような状態です

川沿いの工場

みかんのブランド「若野」も大被害です
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先日、地元の小学校で近畿大学の研究室がリードして、建築士会と地元自治会と小学生とともに行う防災についてのコラボレーションに建築士会のメンバーとして参加しました
まず小学生の目線から小学校の近所を歩きます
地震などの防災時にどんな所が危険かを考えてもらいます
教室に戻って意見交換してボードに整理し発表します
2時間目はストローで作る、耐震建築です 筋交いを入れると丈夫になることを体験します
子供たちの目線を借りることで、いつもは気付かないことがわかるという仕組みで、地元の自治会の方々も大いに参考になったことでしょう
我々は、建築のプロとして今後もこのような啓発活動をすすめていきたいと思いますので、ご興味がある方はご一報ください!



前日の、「芸術の秋」宣言から、早くも定番のグルメレポート復活です!!
グリルミヤコのカツです
ネットで検索してたまたま見つけて思い切って入りました
カツ定食を頼んだんですが お皿からはみ出しそうなカツにびっくり!
どうも、有名なようです
これに、みそ汁とご飯(標準でおおもり)がつきます
当然、私は完食ですが、隣のカップルはだいぶ残していました
「若いのにもっと食べな力出えへんでー」
と思いながら、中年太りのおなかを気にする今日この頃です

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この2つの写真を並べるのはどうかと思ったのですが、思い切って。。。
中之島バーガーです
ご当地バーガーがはやりの昨今、中ノ島にもありました
内外、ソフト系です ハード系が続いたので久しぶりのソフト系はおいしかったです
ついでに、近くの「国立国際美術館」に行きました
(・・実はこっちが本命!)
設計者はシーザー・ぺリ 世界を代表する有名建築家です
2004年竣工ですが初めて行っていきました
彼の特徴は簡単に言えば曲線の多用と、金属の多用でしょうか
大阪では大阪歴史博物館(大阪城横)が彼の作品です
写真が中之島バーガーより小さいのが気になりますが、、とりあえず!!
芸術の秋なんで少しはグルメから芸術系にブログも移行しなければ・・・

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一日時間が空いたので、何年か前に後輩に紹介されて いつかは行きたいと思っていた浄土寺の浄土堂(阿弥陀堂)に行ってきました お寺は兵庫県小野市にあります
この浄土堂(阿弥陀堂)は国宝ですが、浄土寺の伽藍の中には重文指定の建物がずらり。。あります
こじんまりしたお寺で、参詣者もまばらでしたが建築的には超有名なお寺です
たぶん、学生時代に建築史の授業で登場した思います(記憶から遠のいていますが・・(笑))

設計、プロジュースは「重源上人」(ちょうげんしょうにん)!!
それでは、以下講釈を、、、(長文です)
昔、僧は貴族や武士と区別され社会での超エリート集団だったんでしょうね
この子は頭がよさそうだから僧にさせて みたいな!
今でいう大学や研究所といったところでしょうか!
もちろん、基本は仏教を一から学ぶのでしょうが、その中に、建築学科なるものがあったとしたら・・・
「重源上人」は新進気鋭の超有名建築家だったのでしょう
時代は鎌倉時代 源平の合戦で東大寺は焼失
その再興を任されたのは新進気鋭の「重源上人」
彼は、何回も中国の宋を訪れ当時の中国建築文化を学んでいました
当時の日本は、天平・飛鳥時代の(たとえば唐招提寺的な)重厚な中国的建築から、ずいぶん時間が経過して日本的な繊細な建築になりつつある時代でした
その流れを止めるように独自に宋の建築文化から「天竺様」という新しい様式を採用したのが重源上人です
東大寺大仏殿再興をこの様式を用いて成し遂げられました
天竺様を大仏様ともいうのはこのためです
東大寺はその後、戦国時代の騒乱で2度目の焼失をし、当時の建物としては「南大門」が残っているにすぎません
この南大門以外で日本で残っているのは、この浄土寺浄土堂の2つだけです
大仏様の特徴は大胆な構造計画を採用した機能美です
具体的には屋根は寺院によくみられる曲線ではなく直線的でシンプルです
屋根を受ける斗栱などは大胆に張り出しています
内部(写真撮影禁止で画像はありませんが)は、阿弥陀像を天井いっぱいの空間に配置する為に天井を設けず思い切った
架工を施しています
デザインは当時としては大胆で豪快で、控えめなで繊細な日本人にはその後受け入れられませんでした
彼はすごく目立ちたがり立ったのでしょうね!
私は、重源上人の一石を投じた挑戦的な姿勢が大好きです
南大門は何度も行っていますが、今度じっくり見てみたいと思います
